366日の山田

26歳、死にたがり。

2018.2.6(火)②

2018.2.6()19:21

 最近読んだ本の内容で気になった部分を抽出してみたけど、今の自分に当てはめて考えてみよう。

今の自分は現実の問題から逃げるために毎日ニコ生をしており受験勉強ができなかったのも、

周りの人と比較して萎縮したり、どこ大学行きたいとか行っておきつつ、その大学は自分の実力のはるか上だったりしたことだと思う。

劣等感を持つこと自体は普通にあり得ることだけど、そこから生まれる要求水準が自分の実力よりはるか上で

実現することができないものだったのだろう。自分は自分で設定した目標に萎縮して何もできなかったんだ。

 大切なのは他人と比較しないで、現実の自分を見つめ、できそうな目標を設定して、その目標をコツコツと達成していくこと。

自分の人生は自分で決められると考え、選択・決定・決断し、その結果にちゃんと責任を持つこと。

課題に立ち向かう勇気を出して、少しずつ努力すること。

過去や未来に囚われず、今を真剣に生きること。

 明日はお金の計算をしてこれから自分がどうやって生きていきたいかを考えてみよう。

20:02

2018.2.6(火)①

2018.2.5()21:05

 ニコ生を見るか、食べるか、寝るかの生活だったけれど、ニコ生を見るのも飽きてきた。

そろそろ現実を見て行動できそうな感じ。受験から逃げて現実逃避をしていたのだけれども。

最近読んだ本の抜粋をしてみようと思う。自分の備忘録のために。

 

 ①無気力感の形成 『トピックス こころのサイエンス』 P168

無気力感の形成には、自分が状況を変える原因になり得ないという原因の捉え方が深く関与している。

原因をどこに求めるか(原因帰属)がその後の行動のありがたに強く影響する。(ワイナー)

統制の位置 1.内的統制 2.外的統制 安定性:1.安定 2.不安定

1.1.能力、1.2.努力、2.1.課題の困難さ、2.2.運

○原因を自分で変えられるものとして、失敗が努力不足と考えることで、無気力感は形成されにくくなる。

 

 ②優柔不断 『[生きる]心理学』P181

決断は実行を含むと考える限り、やがて成否が明白になる。この成否の客観的面に気をとられる人は、優柔不断になりやすい。

失敗しても、成功しても主観的な事実(心の問題)として受け止められる人は、ともかく実行に移してみようとする。

従って、周囲の人が客観的な業績や成功のみをやかましく言うと、優柔不断になりやすい。

◯何かを決断するときは成否にとらわれることなく、自己成長として考えるようにする。

 

 ③ゴールドフリード 問題解決行動訓練 『[生きる]心理学』P130

1.方向性-問題状況を認知し受容する構え、態度の形成と、最初の刺激にすぐ反応したり、無関心であることをチェックする

2.問題性の明確化-問題の特徴を決めたり、問題状況の分類をする

3.探索-あれか、これかと探索する。これは創造、想像過程、回想、記憶過程と言われている

4.決断-最上のものを選択する決断を行う。決断は最も困難な段階といえる

5.最上か、有効かの立証-決断したものが有効な問題解決になったかどうかを確かめる

◯問題解決時の参考にしよう。

 

 ④自己決定の重要さ 『[生きる]心理学』P116,P119

ジェイムスらはこうも述べている。”その決心がいつも正しいものとは限らないにせよ、個人が自分の意思決定をしない限り、

彼のパワーは思考性のないものとなり、彼の論理は不明確かつ不安定である”。このことは前出の人間モデルの中で、

いかに「目標の選択」が重要であるかを裏付けていると思うのである。~

人間が成長し発展しているという自己信頼感を持つ時には、自分で決められるという自信がある。

自己決定は、そこで自己能力を開発させないわけにはいかなくなる。決断は能力を組むポンプになるとさえ言われている。

◯自分で選択することにより、自分で責任を負う為、人は努力する。従って、自己決定はとても重要である。

 

 ⑤”実力”の養い方 『[生きる]心理学』P82

努力がなされても、目的は容易に達せられず、業績は上がらないということがあろう。

この場合に過程の進め方が問題になってくる。例えば数学の実力がつくためには、毎日の課題を着実に学習することである。

つまり一問、一問じっくり、慌てず解いてゆく態度が必要である。そしてこの一問を解くことによって、

主観的に、”できた” “うまくいったぞ” “うれしい” といった成功を味わうことができる。この主観的報酬は、

次の難しい問題への挑戦の意欲を湧き上がらせる。しかし数学の何問かができたからといって、実力が急につくわけではない。

それを持続して何ヶ月も、何年もやり抜くことが”実力”への道なのである。あるところではスラスラできるが、

あるところでは長時間の思考・演算が行われ、解答に達しない。それを万策尽きて友人に聞いて、開放がわかるということもあろう。

こうした時にも、ある程度の努力が積まれていれば、理解も早く、”もうちょっとだ”という気持ちになれる。

こうした勉強の途上に生じる小さな成功、見通しなどを努力行為のエネルギーとして蓄えて行くことが、

結局は”実力”を獲得する方法になる。~

数学の勉強に取り組む生徒は、数学を目標とするという方向づけ、目標意識と、それに達するという推進力を必要とする。

努力行為は、この目標意識と推進力との二つの要因に支えられている。努力とは目標を失わず、しかもそれに取り付く、

活動を行うことである。努力心とは、この一連の内外的活動を総称している。

◯目標を見失わずに少しずつ歩みを進めることが大事で、”実力”を養うことができる。

 

 ⑥劣等感と優越感 『劣等感の心理』P27

劣等感は優越感の裏返しである。他人に勝りたいという心、すなわち優越感が人一倍強すぎるためにかえって

それが実現できない恐れ、すなわち劣等感を感ずるのである。つまり、劣等感と優越感は同一物の裏表である。

普通の人ならば、程よい要求水準、実力とあまり違わない要求水準を立てる。だから、成功して世の中を愉快に過ごしてゆく。

しかし、内向的性格の人は実力よりもはるかに高い要求水準を立てるから、それだけ失敗や敗北を恐れて、余計緊張し悩む。

それが劣等感である。無理に優越感を維持しようとするところに劣等感が入り込むのである。

○劣等感は優越感の裏返し。実力よりもはるかに高い要求水準を立てるか。。。当てはまるなあ。

 

 ⑦劣等感について 『劣等感の心理』P247、250

劣等感というものは必ずしも困ったものではないことの認識が必要である。それはどんな人にもあるばかりでなく、

人間が成長するのに欠くことのできないものである。誰でも自分に足りないところがあるから努力するのである。

だから劣等感は努力の元である。~

劣等感は正しく対応すれば人を向上進歩させるが、不味くすると人を退歩堕落させるのである。

それを自覚することが大切なのである。

○劣等感は努力の源であるが、捉え方を間違えると害にもなる。

 

 ⑧劣等感の治療 『劣等感の心理』P254

要求水準はふた通りある。何かしようとするとき、これだけはやれるからやりたいという自信水準と、

やれるかやれないかわからないが、ともかくやってみる決心だという決心水準である。~さらにいえば、

要求水準は事柄についてこれだけしたいという水準と、他人と比べて自分はこれだけの位置を守りたいという水準とが

あることは前に述べた。事柄に対して成功・失敗が、他人に対して勝利・敗北があることも述べた。

劣等感は主として他人に対する競争関係の中で、負けやしまいかという恐れの感情である。

そこで他人に対する競争意識を一時やめて事柄に精神を打ち込んでみることが劣等感の治療になることがある。

○他人と競争しない、事柄に打ち込むことが劣等感の治療となる。

 

 ⑨劣等感の弊害を防ぐために 『劣等感の心理』P257

劣等感に悩むのは他人に勝りたいという優越感のためであった。それで人間が向上する面もあるが、

そのためにあまりにも苦しみ、ひねくれ、妬み、他人を陥れようとしたり、絶望して世をはかなんだり、

非行、犯罪、自殺したりすることもある。それを防ぐためには競争社会を精神的に超越して、

自己実現することに生きがいを感ずるか、それもできない場合には正直に素直に生きてゆく宗教的な態度に到達する。

○劣等感を超越し、自己実現、素直な生活を送ることで、劣等感からくる弊害を防ぐことができる。

 

 ⑩系統的脱感作法 『劣等感の心理』P268

「できません」と相手が言ったら強行せず、やりやすい仕事から出発する。それに自信を得たら、

次には前より少し困難な仕事をさせるのである。劣等感は要求水準が現実に合わないほど高すぎることから生ずるのである。

だから、その水準に至るための中間目標を立て、その中間目標達するための直接目標を立て、

そのための戦略(ストラテジー)を立て、そのための工夫(タクティックス)をこらすというのが、

要求水準の研究から得られた問題解決の方法論である。

○できそうな現実的な目標を立てて、それをこなしていくのが大事なんだな。

 

 ⑪神経症の目的 『行きづらさからの脱却』P23

困難を探し、困難を増すことを仕事にしているように見える人がいる。他の人がその重荷を考慮に入れ、

多くのことを自分に期待しないようにすることが目的である。そのような人は何もしないわけではない。

何かに着手はするが、担っている重荷のために「勝ち取る成功はどんなものでも、この広く吹聴されたハンディキャップのために

一層大きなものになるので、非常に有利で手放せないものになる」(『人はなぜ神経症になるのか』)。 真っ当に努力して思うような

成果を出せない時のために予防線を張るようなことをしているのである。「広く吹聴されたハンディキャップ」が大きければ

大きいほどうまくいかなかった時にそのことのせいにできる。成功すれば格別の努力をしていなくても賞賛してもらえる。

困難があればその困難によって、「ほかの人よりは緩やかな基準によって判断されるという特権的な人生を送る可能性を

手に入れることになる」(前掲書)。しかし、そのことの代価を神経症で支払っているのである。~

ほかの人が重荷を考慮し、多くのことを自分に期待しないようにすることが「目的」である、とアドラーはいう。

神経症は他人が自分に多くのことを期待しないようにするのが目的で作られるという。思い当たる節はある。

 

 ⑫神経症の目的 『行きづらさからの脱却』P39

「人の行動は全て目標によって設定される。人が生き、行為し、自分の立場を見出す方法は必ず目標の設定と結びついている。

一定の目標が念頭になければ、何も考えることも、着手することもできない」(『性格の心理学』) 何かの行動を起こそうとする際、

目的が先行する。そして、この目的は自由意志で選択される。欲求や感情が人を後ろから押すのではない。必ず目標を定め、

それに向かっていくのである。~線を引くためには目標を目にしていることが必要だが、そもそもこの一本の線を引くという決心、

そうする「必然性が必要である(『人間地の心理学』)。~「書かずにはいられない」のなら、生活をこの「必然性」に従って

建てなさいという。私は書かずにはいられない~の意味は、内発的に書くということである。

○内発的動機によって目標を決めて行動。

  

 ⑬過去の出来事や症状は課題回避のための免罪符 『行きづらさからの脱却』P73

過去にあったことが問題の原因であると考える人は、このような見かけの因果律で他の人だけでなく自分をも欺いているのであり、

アドラーはこのような口実を「人生の嘘」と言う厳しい言葉で表現している(『個人心理学講義』)。 人生の課題に取り組むとき、

失敗することはありうる。しかし、何をするときにも必ず成功しなければならないと考え、成功するという保証があるときにしか

挑戦しないことがある。もしくは、失敗してもそのことによって致命的な打撃を受けないように、いわば綱渡りをする人が転落

することを予想して、あらかじめ下に網を張っておくようなことをする。(『子供の教育』)。症状はこのような目的のために

創り出される。~さほど難しい試験とは思えないのに、しかもその試験を受けて通らなければ一歩も前に進めない人がいる。

試験に受かるためには勉強をするしかないが、勉強をしないで試験を受けられない理由をいくらでも探してくる。

悩むのも同じである。悩んでいる限り、決めなくていいから悩むのである。悩むことで課題に直面することを延期しているわけである。

○過去のことを持ち出すことや、神経症は課題を回避するために創り出される。課題延期のために悩むってのもあるなあ。

 

 ⑭他者理解 『行きづらさからの脱却』P122

「もしも私だったら」と自分の見方を相手に適用することでは(これが先に見た「属性化」である)、

相手を正しく理解することはできない。むしろ、相手の立場に身を置くことが必要である。

○人の話を聞くときに考えてしまいがち。

 

 ⑮神経症的ライフスタイル 『行きづらさからの脱却』P124

神経症的ライフスタイルがどのようなものかを確認すると、次のようである。 

1.人生の課題を解決しようとしないこと。 2.他者に依存する。 3.他者を支配する。これと関連して、

4.自分には人生の課題を解決する能力がないとお思う。 5.他者は敵であると思う。 

総じて、神経症者は、自己中心的な世界像を持ち、自分自身への関心(self interest)しかない。 

一方で他者を敵とみなしているのに、他者が自分のために何をしてくれるかということにしか関心がない。

これも自分にしか関心がないということである。そのような人に他者への関心(social interest)を持てるように援助したい。~

一度も他者に貢献したことがないと思っている人であっても、他者に貢献しうるという経験をすれば必ず変わる。

過去が現在を決定しないと考えるからこそ、神経症の治療は可能になるのである。

○課題回避はあるな。自己中心的な生き方か。

 

 ⑯死を望む目的 『行きづらさからの脱却』P156

死を思って不安になる人は多いが、その不安や恐れを人生の課題を回避するための口実にすることがある。

こんなことなら死んだほうがマシだという人がいる。もっと漠然と生きづらい、生きているのが嫌だという人もある。

そのようにいう人の目的が何かは明らかだろう。~このようにしや病気を恐れることが

「どんな仕事もしないですませるための口実」になる。課題の達成が困難であると思い、失敗することによって自尊感情(プライド)、

威信を失うことを恐れる人は課題に取り組まないことがあるが、課題に取り組んで失敗したために引き起こされるショックが

あまりに大きいと、人は自らの手で死を選ぼうとする。しかし、このような場合、その人が望んでいるのは、死ではなく、

自分が直面する課題を放棄することを意味している、とアドラーは分析し、人生の課題を回避するために持ち出される口実を

「人生の嘘」と読んでいる。

◯人は課題放棄のために死を望む。

 

 ⑰現実との接点を見失わずに”今ここ”に生きるためには 『行きづらさからの脱却』P229、231、322

 まず、現実との接点を見失わず sachlich(今ここ)に生きるためには、自分が人からどう思われているかを

気にしないことが必要である。人にどんな印象を与えているか、ほかの人は自分をどう思っているかということ

ばかり気にしているとunsachlichになり、人生との連関を見失ってしまう。~ほかの人が自分をどう思うかということ

ばかり気にして人に合わせる人は、自分の人生に一定の方向性を持てないばかりか、不信感を持たれることにもなる。

相容れない考えを同時に受け入れたり、互いに敵対する人たちのいずれにも忠誠を誓っていることが発覚したりするからである。

他者の顔色を不断に窺い、他者に気に入れらそうなことだけを言ったりしたりしていると、嫌われることはないだろうが、

絶えず人に合わせようとすれば、自分のではなく他者への人生を生きることになってしまう。~

 次に、接点を失わないためには、自分や他者について理想ではなく現実の自分や他者を見なければならない。~

このままの自分でいいかといえばよくないが、現実の自分から出発するしかない。自分についてあまりに現実から

かけ離れた理想を持つ人は、現実が理想と乖離していることを理由にして人生の課題を回避しようとしてしまう。

勉強や仕事についていえば、現実の自分の力を見定め、必要があれば力をつけていくことに努めるしかないのである。~

 さらに、現実との接点を見失わないためには、何かが実現すれば、そのとき初めて本当の人生が始まると考えてはいけない。

過去もなく未来もなく、「今ここ」にしか生きることはできないのだから、「もしも・・・ならば」と可能性に賭けずに生きたい。

何かの実現を待つ人にとって、その何かが実現するまでの人生は仮の人生ということになってしまう。

しかも、いまは仮の人生を生きていると考える人は可能性の中に生きているのであり、可能性が現実になったら困るのである。

 そのため、そのような人は問題の解決を先延ばしにする。どんな課題も望む成果を必ずあげることが明らかであるときにだけ

挑戦するという人がいる。そのような人は失敗を恐れるので、課題に挑戦することを恐れ、「足踏みしたい(時間を止めたい)と思う」

(『人はなぜ神経症になるのか』)。~このような人は可能性が現実になることを望まない。「あなたは本当は頭がいい子なのだから

やればできる」と言われた子供は決して勉強しない。やればできるという可能性の中に生きる限り、その可能性の中で「できる子」

として生きることができる。間違っても勉強をして試験に臨み、悪い成績をとって「できない子」と言われたくないのである。

◯1.他者の目を気にしない。 2.理想ではなく現実を見ること。 3.可能性の中に生きない。

 

 ⑱楽観主義 『行きづらさからの脱却』P244

楽観主義者は困難を深刻に受け止めずそこから逃げることはない。先に見たように、深刻になることなく、

困難な課題を前にしても真剣に立ち向かう。人生の困難に立ち向かうことは時に容易なことではないが、

初めから諦めることはない。 自分は弱く不完全なので困難に立ち向かえないと思う人は初めから困難に挑戦しようとはしない。

自分が弱く不完全であることを課題に挑戦しなことの口実にし、かつ、そのことが自他共に認められるために課題に

立ち向かわないのである。 逆に、自分に価値があると思い、自己評価が高い人は困難に耐えることができる。

誤ったり失敗するようなことがあっても、もうどうにもならないと思って諦めるのではなく、できることはしようと思える。

失敗を償うために可能な限りの原状回復を試みるということが、真剣に課題に取り組むことである。課題に取り組むための

安直な方法はないが、真剣に取り組めばできないことはそれほど多くはない。多くの場合、課題に取り組む前から諦めてしまう

ことが多い。失敗すれば最初からやり直せばいいのであって、失敗を悔やみいつまでも悩んでも甲斐はない。

○楽観主義、自己評価が高い。そういう考え方が良かったりするんだな。

 

 ⑲悲観主義者と楽観主義者 『行きづらさからの脱却』P247

何をしてもなんともならないと考える人は何もしないのである。悲観主義者は困難に直面した時にこのように何もしない。

楽観主義者は、「あらゆる困難に勇敢に立ち向かう」のであり、その際、困難に直面しても「深刻に受け止めない」。

「自信を持ち、人生に対する有利な立場を容易に見出し」「過度に要求すること」もしない。過度に要求しないというのは、

結局のところ、課題に立ち向かっても、自分の力が及ばないことはあるということを認めるということである。

それでも楽観主義者は与えられた状況においてできることをするというところが、悲観主義者とは違うところである。

○困難に立ち向かう、深刻に受け止めない、自信を持つ、過度に要求しない。自分で変えられると考える。

 

 ⑳悲観主義者と楽観主義者 『行きづらさからの脱却』P253

確かに着手するどんな課題も首尾よくできるかといえばそんなことはない。しかし、失敗の経験を重ねることで、

もはや課題を解決しようとはせず、また解決できないのは、実際に人生や自分自身について制限があるからではなく、

人生の課題に直面しないために自分で制限を課しているからである。もちろん、課題から逃れれば、傷つくことはないだろう。

人生を「危険」とみなす人がいるとすれば、そうする必要があるからである。「無傷で逃れることによって自分自身を守る」

ためには、人生の課題を回避しなければならず、回避することを正当化するために人生が危険であるとみなさなければならないのである。それはその人固有の人生についての意味づけでしかない。 「他方、次のような人を観察すると仮定しよう。

その人は親密で協力に満ちた愛の関係を持っており、仕事は有益な成果へと結実し、友人は多く、人との結びつきは広く豊かである。

このような人は、人生を多くの好機を提供し、取り消しのできない失敗をもたらすことがない想像的な課題と見ていると結論づけてよい。その人の人生のすべての課題に直面する勇気は次のように言ってると解釈できる「人生は仲間に関心を持ち、全体の一部であり、

人生の幸福に貢献することである」」(『人生の意味の心理学(上)』) 

○自分が傷つくことを防ぐために課題から逃れ、それを正当化するための何かを創り出す。考え方を変えればそれは防げる。

 

2.6()18:35

2018.1.22(月)

2018.1.22()21:57

 死にてえな。今日は。

今日はやることが色々あったけど、どれもできなかった。

昨日夕方に起きて、そこから朝まで起き、朝食を食べたら眠くなり、9時くらいから寝て、19時頃に起きた。

そしてそこからご飯を食べ、ずっとニコ生をしていた。とても死にたい気分だ。

色々やらないけないことがあるけど全然やる気が起きない。そして、ネットをしていないと不安になる。

自分は死んだほうがいい人間だ。とても辛い。

 最近ニコニコ生放送で自分のことを話すようにしたら、少しは楽になることができるようだ。

北欧への留学を提案されたけど、自分の能力では無理だったので、ちゃんと勉強して日本の大学を目指そうと思う。

 人が幸せに生きるには努力とか苦労をしないといけないと言うのは思い込みという記事を見たが、自分はどうだろう。

自分は努力することは大事だと思う。今まで自分は努力したことがない。今までなあなあに生きてきた。

なんだか死にたい気持ち。中学までは何と無く生きて良い感じだったけど、高校に入って勉強しなくなって、

部活とかでも特に大した努力をしないで過ごした。高校生の時は大学受験から逃げた。

フリーターに飽き、SEとして働くも周りに迷惑をかけてばかりだったのを気に病み、仕事を辞めた。

自分は頭が良いと思っているのではないか、有能じゃないといけないと思っているのだろうか。

だから他人に自分の弱みを見せることができず、誰にも相談できず潰れた感じがある。

そもそも自分は今まで努力して頑張るってことをしたことがないように思える。

今の時期はそれを養う期間なのではないか。自分で目標を設定してそれに向かって努力をする。そんな経験を積みたい。

 コメントで楽しいことを追求したらいいじゃないかと言われたが、自分が楽しいと思うことってなんだろう。

もうだいぶそんな気持ちになってないのかもしれない。毎日が憂鬱。

 あと放送をして気がついたことは、自分は自分のことを知られるのを極度に怖がっているということ。

周りの人にあの人あの年齢で高校の勉強してるよとか思われたくなくて行きたくないんだと思う。死にてえな。

そういうのも気にしないで生きていけるようになりたい。つまりありのままの自分を出せるようになりたい。

変に知ったかぶりをしたり、虚勢を張ったりせずに生きれるようになりたい。

自分がそういうことをするのは恐らく、他人に嫌われたくないからだと思う。

それはもちろん自分の幼少期の頃からの習慣なんだと思う。

親に自分のことを言ったりしたら否定されたり、受け入れられてこなかったんだろうな。

まあ、親元で生きているうちに形成された価値観だったり、考え方、性格を引っさげて社会にでてくんだろうな。

自分はそこで躓いた。ただそれだけのことだ。これからの人生そういうことはいくらでもあるだろう。

大事なのは何度躓いても起き上がって歩き出すことだ。

自分もそうなれるように頑張ろうや。

2018.1.19(金)

2018.1.19()0:55

 久しぶりに寝る前にちゃんとお風呂に入った気がする。

一応今日の夕方の予定では24時には布団に入っている予定だったが、もうこんな時間だ。

眠気は少しあるのかな。さっき牛筋煮込みを食べすぎたせいでお腹の調子が悪い。

まだ全然消化できてないな、これは。

スカイプ立ち上げたら会議誘われた。会話するのは楽しいけど、時間が長いのがネックやな。

気持ち悪い人達と当たっても切れなかったりするのがめんどいな。

自分で稼いで

2018.1.15(月)

2018.1.15()3:21

 死にてえな。ネット依存症。

ネットで常にニコ生をつけてないと不安な体になってしまった。

お酒にも取り憑かれて、最近は朝に寝て、午後に起きる生活になっている。

センター試験は1日目は受けたが、2日目は二日酔いで寝てて行けなかった。

とりまお風呂はいってくるか。入ってきた。この勢いでニコ生するか。

久しぶりにお風呂はいって、ニコ生もした。

自分のことを話すって久しぶりにした気がする。

話すって自分の考えが整理されたり、再確認できたりされていいな。1時間話したら疲れたけど。

また数日したら放送しようかな。少し眠くなってきたけど、まだ寝るほどではないかも。

お腹減ってきた感はある。

コンビニ行って何か買ってこようかな。

ネットやめたら空き時間どうする?って感じかな?

お腹減ってきたな。今日は何か食べて寝ようかな。。。

2018.1.12(金)

2018.1.12()19:59

 とても死にたい。明日はセンター試験だ。自分は1年半前に仕事を辞め、

半年は何もせずずっとネットでニコニコ生放送まとめサイトを見て過ごしていた。

去年度末には仕事をしようと就職活動をしていたが、やはり大学受験をしようと決めて、

予備校に通っていた。授業には出るが、家での勉強はしてなかった。とても死にたい。

そして11月中旬頃からは授業にもいかなくなり、毎日家でニコ生、まとめサイトを見る生活に戻った。とても死にたい。

なぜ私はこんな生活をしているのだろう。なるべくしてなったのだとは思うが、今のままでは腐って死ぬだけだ。

ただの甘えであると思う。自分が努力をしない為の。自分で自分を責めてお酒飲んで終わり。とても死にたい。

根底のところで不安、恐怖、臆病、自信のなさだったりがあるのかもしれない。

いつから自分の感情を親に見せないようにしてきたんだろう。小学、中学頃かな。

嘘つきまくりだし、自分のことを正直に話すのが怖いんだろうな。

ネットだけでも正直に話せる人を探そうかな。ほんと死にたいわ。

ニコ生をずっとつけてないと不安になる。お金もないし。何してんだろ。

とりあえず、明日は絶対受けに行く。逃げずにテストを受けて、現実を受け入れよう。

その後のことはまた考えればいい。

お酒を飲まないと人と話せなくなってる気がする。それでもいいのかな。

もう嘘をつき続ける人生は疲れた。一人で抱えずに誰かに話して楽になりたい。

そんな感じで今日はお酒飲んで寝ようかな。明日は絶対に行く。泥酔して朝まで飲んだりは絶対しない。

話を聴くだけじゃなく、自分も話すようにしてみよう。 20:47(0:48)