366日の山田

26歳、死にたがり。

2017.10.22(日)

2017.10.22() 27:21

死にたい。寝る前によく思うことだ。何かよくないと思うことをするときにも思う。

とても死にたい気持ちだ。だが、口で言ったり心で思うだけで本気で死のうとは思ってはいない。

もちろん、仕事をしていたときはそう思っていた時期もあったが、未遂などをしたことはない。

よく高層マンションへ行き、下を見て飛び降りたいなと考えていた程度だ。首吊りや練炭等の知識はない。

 

今の自分は親に生かしてもらっている。自分の力で稼いでいない。

そして、大学に入るための勉強をさせてもらっている。

それなのに自分は全然勉強をしないで毎日ネットをして過ごしている。

勉強を始めて6ヶ月くらい経つが、偏差値は30-40程度だった。

もちろん最初は20-30程度だったので10程度は上がっているが、大学に入れるだけの学力はない。

それなのに毎日ネットをして勉強しないで過ごしている。

自分は何をしているのだろうか。そういう思いもあって毎日死にたいと思うのだろうか。

 

では、なぜ自分は勉強しないでネットをするのだろう。

それが自分でもよくわからない。親にお金をもらうことが本当に辛い。

そう思っているのに平気でお金を使っている。いわゆる口だけ良い子ちゃんなのだ。行動が伴っていない。

本当に悪いと思ってたらちゃんとセーブしてお金を使うだろう。自分はそれをしていない。クソ野郎だ。

 

自分は恵まれた環境に育てられたのではないだろうか。

お金は父親が節約して生活している姿を見ていたはずなのに今の自分は全然節約していない。

お金がないはずなのに何をしているのだろうか。

そしてこうして反省しても明日はまたネットをしているのだろう。そして、夜にまた鬱になる。

もうこんな生活は嫌なのだ。

 

ではどうしたらそう言った生活を終わらせることができるのだろうか。。。

それはもう一極集中するしかないのではないかと思う。

これを書いている今もネット配信を見に行った。

自分は病気なのではないか。インターネット依存症。

だからどうしたというのだ。それでもどうにかしないといけないのだ。

~しないといけないという言い方はやめよう。誰かに無理強いされてる感じがする。

そうではなくて全て自分で選択してる感じにしよう。

 

今思えば私は自分で選択してそれに責任を持ったり、目標設定をして努力したりしたことがなかったと思う。

小学生の頃は勉強も運動もできて、自分からサッカーを習いたい、塾に通いたいと思い、その通りにさせてもらった。

中学校の頃は自分の運動能力に限界を感じていた。勉強は特別頑張った記憶はない。ただ塾に行って勉強していただけだ。

高校生の頃は運動は惰性で続けていたが、楽しいとかレギュラーを取るために頑張ろうとかはなかった。

ただなんとなくやっていた。勉強はできるだろうと思って塾にも通わずにいたら、自分は自宅では全く勉強しなかった。

そしてそのまま大学受験を迎え、それでも勉強できずに自分は逃亡した。

 

バイトを約1年続け、世界を回ると言いつつ、最初の場所から動けず1週間程度で帰国し、

大学受験を目指して勉強するといって本を買ったものの、全く勉強しなかったのだ。

そしてお金がなくなり働き始め、自分が全く使い物にならないことを知り、絶望して会社を辞めた。

こうして振り返ってみると、今までの人生の中で絶頂期だったのは小学校の頃だったように思う。

そして、今までなんとなくで生きてこれたけど、もうそんなことも言ってられなくなってきた。

 

ちゃんと自分で目標を設定して努力しなければならない。いや、自分で目標設定して努力できるようになりたい。

自分は自分の人生を受け身に生きてきたと思う。自分の人生を変えれることを知らないで生きてきた気がする。

だから現実が迫ったきた時にそれに立ち向かわないで甘受してきた。

 

私の人生は私の行動で決めることができる。

アルコール依存症だってそうだ。自分の力では難しかったが、今は抗酒剤を飲んでセーブできている。

そして、今の生活も自分で選択できるのだ。というより今選択した結果こうなっているのだ。

今自分はどうしても毎日インターネットをしてしまっていると言っているが、その表現は受け身的だ。

 

受け身で思い出したが、自分がこうなった原因は親にあると思う。

私が子供の頃、自分の親に自分がこうしようと思っていると言うと、親はああした方がいいんじゃないとかこうしたらとか言ってくるのだ。

(まぁそういうのはいつも母で、父は子供に対して無関心であったと思う。(父と一緒にサッカーした記憶が唯一の父と遊んだ時の思い出だ。))

それは昔も今も変わらない。小さい頃は親の言いなりだが、今はもう違う。自分で決めることができるのだ。

なので、自分が将来よくない結果になったとしたらそれは紛れもなく自分の責任だ。

そして、私は親には自分を育ててくれたことに関してかなり感謝している。全然親孝行できてないのが本当に申し訳ないと思っている。

また、未だに親に迷惑をかけていることも非常に自分を情けなく思う。

なのに真剣に勉強していなかったり、浪費したりしているので本当に私はバカ息子だと思う。

そして、思うだけで行動に移してないところも本当に最低だと感じる。

 

閑話休題、話を戻す。

私は毎日インターネットを「してしまっている」のではなく、私は毎日インターネットを「している」なのだ。

つまり自分で行動を選択しているのだ。人間の行動原理には「不快」と「快」があるという。

不快を避けるためか、快を求めて行動するのだという。そしてその不快と快は表裏一体みたいなことが書いてあった。

うーん、自分がインターネットをすることを選択している理由はなんだろう。勉強を避けている理由はなんだろう。

自分はとりあえず勉強から逃げたいのではないだろうか。そしてできた空白の時間をネットや他のことで潰しているのではないか。

ではなぜ自分が勉強を避けているのか。一応自分は目標を持っていて、そこに到達できないと思っているからだろうか。

 

ここまで書いて燃料切れになってきた。

ここからが話の核心部分だと思われるのに。。。

せっかくだから頑張って書くか。

 

私は現在毎日ネットをすることを選択している。しかしそれは本来自分がするべきことでないと思っている。

本来自分は勉強するべきだと思っている。そこに間違いがあるのかもしれない。

そもそも自分はこれからどう生きたいのか、何をしたいのかを考えて、その結果それを実現するために努力するのではないだろうか。

今の自分はなんなんだ。目の前の快楽に溺れている感じがする。

ちゃんと真剣に自分の将来のことを考えて目標を設定して努力するべきではないのだろうか。

もうべきという言葉を使わないとして、自分はそうしたいのではないのか。

そうだろう。自分に誓え。自分に言え。自分で決めろ。自分の行動に全責任を持つと。自分の未来は自分で決めると。今自分がやっていることが自分が選択していることなんだと。負い目を感じるようなことなんかやるな!自分の行動に責任を持て。

誓え、誓え、誓え!!!

29:17