366日の山田

26歳、死にたがり。

2017.10.27(金)

2017.10.27()27:34

 死にたい。何故自分がこう思うのかわからない。

いや、それはやるべきことをやっていないからだ。

やるべきことって何?勉強?

べきこととかせねばならないという言葉遣いはもうやめるんだ。

 俺はこの1週間近くずっとネットをしてきて、全然勉強していない。

引きこもりで掃除もしていない生活を送っている。

この日記を書いてる途中に何回も生放送を見ようとしてsafariを開こうとした。

だけどそれらはこのアカウントでは開けないようにした。

俺にはそれは根本的な解決になってないから一時しのぎのように思える。

勉強するために図書館に行くようなものだ。

俺はそういうのは嫌だ。勉強するなら家の方がいいし、家じゃ勉強できないっておかしくないか?

家には誘惑があるから外でやるんだっておかしい気がする。

それってもともとは勉強はしたくないってこと?本当は漫画を読みたいの?

そうじゃないだろ。勉強したいから勉強するんだろ。

勉強はつらいもの、仕事を辛いものって考えはおかしくないか。

勉強や仕事が肉体的精神的に辛いってのはわかる。だけどそれは逃げたいようなものじゃないと思うんだ。

 俺が言いたいのは、最近漫画を読んで思ったのだが、ワンピースやキングダムのように

主人公には目指すものがあって、それを求めて行く過程ですごく辛い目に遭っているが、

それは彼らの目標を達成するための過程上のものなので、その辛い目に耐えられているのではないだろうか。

もし彼らに目標がなく、無理やり戦場に連れてかれて、無理やり戦わされたとしたら、彼らは一体なんなのだろうか。

果たして彼らは生きていると言えるのだろうか。

生物学的には彼らは生きていると言えるが、彼らの人生は生きていない。

他の誰かに彼らの人生を奪われているに過ぎないのだ。

 ではそれを我々の世界に落とし込んでみる。

私たちは学生時代に勉強をして、学校を卒業したら仕事をする。

中には仕事をしないで私のように家に引きこもっていたりするものもいる。

病気や退職、休職、家事や介護のために家にいるものもいる。

果たして彼らは彼らの人生を生きているのだろうか。

ほとんどの人が同じような成長の過程を辿って行く中で、

彼らの人生を生きる者もいれば、そうでないものもいる。

何故どのようにしてその違いが生まれるのだろうか。

 それは彼らが自分の人生を変えることができると思っていたり、彼ら自身が彼らの人生を選択して生きてきたと思えれば

彼らは彼らの人生を生きていると思えるのではないだろうか。それは決して人生の被害者ではない。

うーん、自分の人生を選択して生きてきたものは自分の人生の加害者でもあり被害者でもある。

が、それは自分の選択のせいなのでそれに納得してまたいろんなことに挑戦していけるのではないだろうか。

 一方自分で人生を選択してこなかったり、他人の意見ばかりを聞いて自分の人生を他人の判断に任せてきた人間は

起こることに対して無力を感じたり、被害者意識を持つだけになるのではないだろうか。自分が自分の人生の加害者にならないのだ。

それはどういうことか、親に選択を任せてきたり、そういうのをさせてもらってなかったらそうなってしまうのかな。

そういった人間は彼らに対して起きた出来事に対して自分のせいだという認識がないから、

もう嫌だ、逃げたい、助けて等とほざくのではないだろうか。人生は不安定で恐ろしいものだと思えるのではないか。

 では、私に当てはめてみよう。(全然関係ないが、久しぶりに自分がうつ状態になっていた時のリラゼーション音楽を聴きながらこれを書いている。改めていうが、それは全然関係のないことだ。)

私は無関心な父親と過干渉な母親によって育てられた。今思えば、母親があれこれと自分のことについて決めてきていた気がする。

しかし、自分で決めたこともある、小学生時代に習い始めたサッカーと塾だ。それらは自分がやりたいと思ってやっていた。

思い出す限りでは自分の進路選択やこうしたいなどと母親にいうとこうしたほうがいいんじゃないかとか言って

何かと母は母の意見に従わせようとしていたな。そんな母が当時はすごく嫌いだったんだ。

そして思春期の頃には一切話しをしなくなった。父と母も仲が悪かったからうちはいつも静かだったな。

会話が全然なかったな。思い出して悲しくなってきた。そして、中学生の頃に事件が起き、家族は分断され、。。。

あぁ、昔のことを思い出すとより死にたくなってくる。

 私は将来幸せな人生を送ることができるのだろうか。確実に今のままでは無理だ。

私は今仕事をしていない。気持ち悪い。死にたい。まぁ、そんなことはどうでもよい。

結局私は何が言いたかったのか整理し直そう。

 ということで閑話休題、話を本筋に戻そう。

私は今勉強すべきなどと考えているのだ、それは完全に自分の人生に対してまるで被害者のような態度をとっている。

勉強しろと誰に強制されたのか。否、勉強させてくれと親に頼み込んだのは他でもない自分ではないか。

では、何故自分は今勉強していないのだろうか。そもそも今勉強していないというより、最初から勉強していなかったのではないか。

それは違う気がする。7月前までは必死に勉強するための準備をしていたが、今となってはネットを最優先してしている。

また、それを咎めるものもいない。ただ、毎週授業があるのにもかかわらず、自分はネットを優先して授業へ行けていない。

ちょっと書いてて疲れてきたので、少し休憩のネットをする。少し眠くもある。4:24